コンダクター

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第1章(3)


 ダズベリー家はトラバスタでも有数の資産家の一族だった。トラバスタを管轄するここら一帯の領主にも負けず劣らない伝統と歴史をもつダズベリー家の格式は今日でも衰えることなく、現在も街の外れに豪華な屋敷が居を構えている。
 いわゆる貴族たちに相当すると言われるが、あくまでもダズベリー家が資産家の一端であることは間違いない。片隅の地方に過ぎぬここトラバスタを含めて、ルーベルグ大陸に名を馳せる王国〈ブランドベル〉から子爵の爵位を授けられたダズベリー家はその発言権や威厳が広く拡大したのである。
 爵位にしがみついて生きてきた、無駄な謹厳と飾りたくった豪奢に己の歴史だけを重んじる古臭い旧貴族たちとは別物だ。
 ネッドはかつてダズベリーの現当主を見たことがあるが、印象だけで語るならばさすがに凄みを感じさせる男だった。しかし、そこには固定概念に囚われない自由なる生き様がにじみ出ていたようにも思う。あくまで――印象に過ぎぬが。
「着いたぜアニキ」
 トラバスタの街の外れ。林を越えたそこには広大な屋敷がネッドたちを出迎えていた。屋敷を守る門だけでもそこらに生えた木をゆうに越している。そして門の向こうにはまるで害虫の一匹もいないだろうと思わせるほどの美しき中庭が広がっており、それを挟んだ玄関はかすんでいるかと思わせるほどだった。
 ネッドは手綱を引いて馬を止めると着地し、先に門を見上げていたオーリーのもとに近づいた。そして同じように屋敷を見上げて感嘆の声をあげる。
「さすがに……でかいな」
「本当にこんなところで仕事? 俺、かたっくるしいの嫌だぜ?」
 これから始まる仕事のことを考えて、オーリーは実に嫌そうな顔をしていた。これだけの屋敷である。彼が不安を抱くのも理解に難くはなかった。
 ネッドはそんなオーリーに安心感を抱かせるべく、微笑を返してやった。
「安心しろ。仕事って言っても地下の仕事だ。お前の思うようなことはないって」
「地下? それって……」
 仕事の内容は詳しく聞かされていなかったのだろう。オーリーはネッドに詳細を聞こうとした。すると、そのとき門の向こうから誰かが近づいてくる足音がした。
「何か声がすると思って来てみたのですが……もしや、あなた方が仕事を請け負ってくださった……?」
「え、ええ……」
 ダズベリー家の主人だ。一度顔を見たことのあるネッドはすぐに分かった。
 堀の深い顔立ちだが眼鏡をかけており、重鎮とした風貌と研究者のような繊細な雰囲気を併せ持ったダズベリー家の主人は、突然やって来た自分に戸惑うネッドたちへ柔和な笑みを浮かべてみせた。
「こんなところで立ち話もなんですな。仕事の話もしなければなりませんし……まずは中へどうぞ」
 主人――オルベル・ダズベリーはそう言ってネッドたちを促した。
 主人自らわざわざ門まで出迎えに来てくれたことには戸惑ったが、ある意味それもネッドの抱いた印象の表れなのかもしれない。いつの間にか近づいてきていた使用人たちに馬を預けて、ネッドはそんなことを思いながらオルベルの後を歩いていった。
 中庭を通る道中、ネッドは仕事のさわりを聞く意味でもオルベルに会話していた。
「今回はこちらの仕事を受けていただいて、ありがとうございました」
「資格には魔術師ということが必須でしたが……」
「ええ……知っておられるかもしれませんが、なにぶん私は古き国家の研究者でして、その関係からか古代魔術についても色々と関わらせていただいておりますゆえ。ですから、その知識がある程度ある人でないと安心できないものでしてね」
 オルベルは苦笑しながら説明した。
 〈古き国家〉の時代、魔術は現代のものよりも遥かに優れた力であったと言われている。魔術国家ローファンが滅亡してからはその強大な魔術体系は崩れたとされており、その中でなんとか一体系を復興したのがネッドの操る奏言魔術である。だがそれでも、〈古き国家〉時代の魔術――いわゆる古代魔術には遠く及ばないとされている。
 古代の時代を調べるためには魔術の研究はなくてはならないものだ。大方その関連だとは思っていたが、案の定かとネッドは思った。とはいえ、無論――大聖堂を追放されたことは伝えていない。ネッドにはどうしてもダズベリー家で仕事をしなくてはならない理由があったし、後ろめたい心はあるものの、魔術師としての能力は決してそんじょそこらの魔術師に劣っていないという自信もあった。
 目的さえ果たせばそれでいい。とにかく、ここまできてはもう引き返す事も出来ないのだから。
「おや?」
 オルベルがきょとんとした声をあげた。
 立ち止まった彼の背中越しに玄関先を見やると、そこで憮然としたように仁王立ちしていたのは一人の少女だった。
 顔だちは愛らしく、白乳混じりの鮮やかな金髪を後頭部で結い、肩を露にしたワンピース姿は、快活で健康的な美しさを感じさせた。しかし、そんな少女であるが、表情だけは不機嫌に唇を結んでこちらを見下ろしているのがネッドたちを戸惑わせた。
「そいつら、誰?」
 ようやく唇が開いたものの、少女の口から飛び出たのはそんな一言だ。すると、少女を見つめていたオーリーはなにやら不思議なものでも見たかのように目を丸くした。
「あれ……どっかで見たような……」
 頭の片隅でこびりついたそれを何とか掻きだそうとするものの、どうにも上手くいかずにオーリーは首を捻る。そんな彼の耳に、オルベルが驚いた声で少女の名前を呼ぶのが聞こえた。
「タラ、こんなところまで出てきて、一体どうしたんだ?」
 そのとき――オーリーの頭の中に記憶が渦巻いた。逆流したそれは彼の幼少時代まで遡り、かつてある金髪の少女に思い切りぶん殴られていた記憶を思い起こさせた。そう、確かその少女の名も……。
「思い出したっ! お前、あの暴力女――」
「ふんっ!」
 次の瞬間。
 突風のようなスピードでめり込んだ少女の拳がオーリーを殴り飛ばした。
「へぶ……ッ!」
 思い出した記憶のままの懐かしい痛みに、オーリーは、やはりあの頃と全く同じく自分の運命を嘆きながら――気を失った。


「いちっ……いたたた……」
 消毒液を吸い込んだ綿の塊に傷跡をなでられて、オーリーは染みる痛みに表情をゆがめた。そんな彼の前に膝をつく女性は、心配した表情で彼に謝った。
「ごめんねぇ……うちの娘は相変わらず節操がなくて」
「なーにが節操がないよ」
 目の前の女性――マメール・ダズベリーは慈悲深いマリアのような妻であったが、それに比べて、娘のタラは飼い主をわざわざ困らせる我侭な猫のようだ。威嚇して尖らせた口先が、滑らかに弁論を放つ。
「いきなり暴力女なんて言うほうが悪いんでしょ」
「そりゃあ悪いかとは思うが………だからっていきなり右ストレートぶちかますかっ!?」
 マメールに治療される晴れた右頬を、オーリーは見せつける。まったく見事なものだと感嘆さえ覚えるような右ストレートは、頬から鼻梁にまで影響を及ぼしたようで、ティッシュが間抜けに二つの穴をふさいでいた。
「ったく、変わってないなぁ……」
「あんたこそね」
 犬と猿のにらみ合いが続く険悪なムードだが、マメールは温かく見守ってほほ笑んでいるだけだった。どうやら、喧嘩するほど仲が良い、とでも思っているのだろうか。それにしては過激であるが。
「オーリー、具合はどう……ってなんだこりゃ」
 次第にエスカレートしてきた二人のにらみ合いは虎と獅子に変化してきたようで、目に見えて唸りをあげている。オルベルとともに部屋に入ってきたネッドは呆れてそれを見下ろし、二人の間に割って入った。
「落ち着けってお前ら。むしろ……久しぶりの対面なんだから喜ぶべきだろう」
「こいつはただの腐れ縁よ。何が悲しくて喜ばないといけないのよ」
「へっ……そいつはこっちの台詞だ」
「なにをぉ……!」
「だから落ち着けって」
 再び牙をむき出しにした動物たちの頭を押さえ込んで、ネッドはため息をついた。なんでも10年以上ぶりの再会らしいが、オルベル曰くの話だと、当時もこのような雰囲気だったらしい。
 振り返ってみると、オルベルもマメールもくすくすと笑って二人を見守っていた。久方ぶりの幼馴染たちの光景を楽しんでいるのだろうが、ネッドとしては再びオーリーが負傷するのは避けたいところだった。仕事もあることだしな。
 ようやく二人が落ち着きを取り戻し、マメールが救急箱を棚に戻したところでネッドはオルベルに促されてソファに座った。隣にはオーリーもだ。
 タラはふんと鼻息を立てると部屋を出て行った。真面目な空気を感じ取ったのだろう。なかなかどうして……ただの我侭なお嬢様ではない、か?
「さて、改めまして仕事の件ですが――」
 オルベルが内容の説明を始めたところで、ネッドはすかさず思考をそちらに移した。 


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