トラバスタの街の中心に相当する広場から、わずかに路地の奥へと向かった先――そこに仕事の斡旋所、いわゆるギルドと呼ばれる傭兵たちのたまり場が存在する。
なぜそのような場所に構えているのかということは、傭兵たちの性質からして明らかであろう。雇われの剣士や弓兵、魔術師たちは、ギルドを介して仕事をもらう以上、ある程度の秩序と規律を守ることが義務付けられるものの、その中には半端なゴロツキと変わらぬ者も少なくない。――街の中心で揉め事を起こされてはかなわないというわけだ。
来る者を拒まなければ、去る者も止めぬのがギルドのスタンスだ。仕事そのものに技量の有無が問われることはあれど、ギルドで仕事を請け負うこと自体に資格などは問われない。
そのためか――
「おい、待てよ」
不意に呼び止められて、ネッドは振り返った。すると、そこにいたのは二人組のいかにも人相の悪い男らであった。
ネッドに向けてギラついた睨みをきかせるのは、人の二倍は体格がありそうな巨漢の男だ。かたや、その後ろでニタニタと笑っているのは、骨に皮をべったりと貼り付けただけのような痩身の男だった。
「……なにか用か?」
「なにか用か……だと? てめぇ、そっちからぶつかってきておいてよく言いやがるな」
「?」
分厚い唇を捲りあげた巨漢に対し、ネッドは怪訝そうに眉を寄せた。そういえば、確かに言われてみれば肩が誰かにぶつかった気がする。そもそもがギルド自体、お世辞にもでかいとはいえないほどの広さである。……まあ、ぶつかることもたまにはあるだろう。
ネッドは気軽に苦笑いを浮かべながら謝った。
「そりゃあ、悪かったな。ま、許してくれ」
「……んだと? その程度で許されるとほんとに思ってんのか?」
だが、それがいけなかったらしい。
ネッドの態度が癇に障った巨漢は、ギロリと彼を睨みつけた。いかにもこれからボコボコにしてやると言わんばかりの恫喝を含んだ瞳だ。そんじょそこらの優男であれば、恐怖に身をすくませても決しておかしくない。
しかし、ネッドはきょとんとして首をかしげた。
「……何か気に障ることでも言ったか?」
「てめ……ッ!」
怒りに顔を真っ赤にした巨漢の豪腕が、ネッドの顔をぶち抜く。
――だが、それは叶わなかった。
「なにっ!?」
「ったく、しつこいぜ……」
目の前からネッドが消えたことに男が驚愕の声を発したときには、すでにネッドは男の背後に回っていた。並みの傭兵でさえも捉えられるか定かでない、俊敏な動きだ。だが、それに振り返る隙さえもなく次の瞬間には、巨漢は足を引っ掛けられて盛大にすっ転んでいた。
「ぐっ!」
「お、おい、大丈夫か!?」
風船球のような巨体ごと、床に顔面を強打した仲間を気遣って、もう一人の痩せた男が膝を折る。もはや巨漢たちの怒りはネッドを一度殴りつけただけでは済まない心境に達していた。
「この……くそったれがあ――」
「やめておけ」
冷然な声がかかったのは、立ち上がった巨漢が獣の咆哮をあげてネッドに駆け出そうとしたそのときだった。背後からのその声に振り返った巨漢は声の主を確認すると、戸惑うように唸って言葉を失っていた。
巨漢を制した声の主――一人の若者は、巨漢の前に進み出てネッドを一瞥した。腰に挿した剣と、よく身体になじんでいることを思わせる洗練された軽装の鎧。若者は、絶えず鋭い双眸をしていた。
「……手間をかけさせて悪かった」
ただ一言、それだけを告げると、若者は身を翻した。
「行くぞ」
「ぐ……」
若者に命じられ、巨漢と痩身の男は彼に仕方なさそうについてゆく。巨漢の漏らした声とその苦虫を噛み潰すような顔が、目の前の獲物をつぶしきれなかった悔しさを物語っていた。
そうしてネッドが連中が立ち去ったのを見送ると、それまでどこにいたのか、オーリーが駆け寄ってきた。
「ア、アニキ……一体何の騒ぎだよ?」
「なんてこともねぇよ。それより、受付は?」
「……あ、ああ、ばっちり」
それまで一足先に手続きをしていたオーリーは、戸惑いは隠せないもののとりあえず頷いた。ネッドは厄介ごとが去ったことにため息をついて、そのまま、騒ぎなどまるで日常茶飯事とても言わんばかりに落ち着いているギルドの受付に、どかっと座った。
既に予約済みということだったのだろうか。受付にいる屈強そうな男はそれに対しては何も言わず、代わりに呆れたため息をついた。
「……揉め事はかまわんが、建物に傷をつけるのだけは勘弁してくれよ」
図体に似合わぬ小さな丸眼鏡を押し上げて、ギルドの主人――リバウド・ニックスは忠告する。ネッドはそれに顔を歪めた。
「どうせ壊れたって修理代はこっち持ちだろ?」
「……当然な」
にやりとリバウドは笑った。
しかも、修繕費用に加えて賠償費まで払わされるときている。一度前に揉め事を起こしたときに支払った額は、どう考えても割に合わないものだった。……二度と厄介ごとはごめんだ。
ネッドは感心したように言った。
「まったく、足元をよく見てるな」
「経営者なんてものはそんなもんだ」
「……ところで、マスター」
リバウドをギルドの責任者としての通称で呼ぶと、ネッドは先ほどの厄介ごとを思い起こして尋ねた。
「あいつら……特にあの剣士……何者だ? このへんじゃ見たことがない」
「ここ最近、この街にやってきた傭兵だ。といっても、仕事はまだ紹介したこともないし、俺もよくは知らないがな」
「……そうか」
きょとんとしているオーリーの横で、ネッドは何かを考えんでいるようだった。
気になるのは、あの瞳だった。まるで、こちらのことを知っているかのような覗き込む瞳の色。透き通るそれの奥では、こちらのことを伺っているような気がした。――無論、こちらの気のせいに過ぎないのかもしれないが。
「……まあ、お前が何を気にしてるかは知らんが」
黙りこんでしまったネッドの意識を呼び戻したのは、リバウドの声だった。
「とにかく、今回は仕事の紹介を貰いに来たんだろ?」
「おっと……そうだった」
ようやく、ネッドも意識を仕事の話へと戻す。
「確か、ダズベリー家での仕事を……ってことだったな」
リバウドはそう口にしながら、机の上の書類をめくっていった。目当てのものが見つかって、それをネッドたちの前に差し出す。
「報酬的には割りの良い仕事ではあるが……単発なうえに地下の地味な仕事だからなぁ。あまり紹介できる奴も少なかった。まして、その割には募集資格はハードルが高い。請け負ってくれるっていうなら助かるが……」
「なんでもいいさ。とにかく、そこでの仕事が出来るならな」
ネッドは仕事の内容を簡単に確認すると、すぐにその書類にサインを記した。あとは、連絡を待って仕事に赴くだけだ。
「よし、オーリー帰るぞ」
「え、もう終わったのかよ? ちゃんと内容は確認したの?」
背後で待っていたオーリーが不安げに聞くが、ネッドはそれを軽く流した。
「一応はな」
とはいえ……正直に言えば、そんなに詳しく見たわけでない。仕事の場所、そしていつ頃からの話か。それだけが分かればあとはどうとでもなる。重要なのは、ダズベリー家の仕事がようやく舞い込んできたということだ。
「おい、ネッド」
帰ろうと立ち上がったネッドの背中に、リバウドの声がかかった。振り返ると、彼は怪訝そうに眉をひそめていた。
「しかし、なんでまたダズベリー家なんだ? 何か理由でもあるのか?」
「ちょいと……忘れ物を、な」
ネッドは不敵に笑うと、オーリーとともにギルドを出て行った。
リバウドの眉は、彼の答えを聞いてもひそめられたままであった。
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