コンダクター

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第1章(6)


 ――アニキ――アニキッ!
 葬送歌が聞こえなくなる頃、その声は不意に聞こえてきた。暗闇の中で反響する声に驚き、はっとなって目を開ける。それまでの暗闇の世界から一転して、視界の色が差し込んできた。
 目の前には、心配そうにこちらを見下ろしているオーリーとタラの姿があった。
「アニキ、やっと目を覚ましたか」
「よかったぁ……」
 安堵の息をつく二人。ぼんやりと身体を起こして、そこでようやくネッドは、自分がソファーの上に寝かされていることに気付いた。横では、膝をついているダズベリー夫人――マメールもいる。
 救急箱を閉じているところを見ると、治療してくれたのか。よく見れば、身体も包帯が巻かれている。
 ネッドの視線に気づいて、マメールが柔らかくほほ笑んだ。
「大事には至っていなかったようです。よかった」
 そうか。俺は、ヴェウサシオンを逃がして、そのまま……。
 わずかに呻きをあげながら、ネッドはソファーに座り直した。深手は負っていない。所々の軽傷が痛む程度だ。ヴェクサシオンと戦ってそれで済んだのであれば、あるいはそれも幸運なのかもしれない。だが、ネッドにとっては……。
「くっ……そ……!」
 苛立つままに拳を握り、膝を打つ。
 そんなネッドを、オーリーたちは黙ったまま見つめていた。なにか声をかけようかとも思い口を開閉するが、事情も知らぬままではかける言葉も見つからない。すると、そんな彼らの間から声が発せられた。
「ヴェクサシオン・クライネか……目的は、コンダクターかね?」
「!?」
 ハッとなって、ネッドは顔をあげた。視線の先にいたのは、このダズベリー家の主であった。オルベルの腕は肩からさがった包帯で固定されている。どうやら、爆発に巻き込まれたときに負傷したもののようだ。
 それを見たとき、ネッドの目がわずかに沈んだ。申し訳なさそうな彼の目を見て、オルベルは大したこともなさそうに苦笑した。
「気にすることはない。アイネ様よりコンダクターの証を預かったときから、こうなることは覚悟できていた。しかし……それがあのヴェクサシオンであるとは予想できなかったが」
「あなたは……なぜ……?」
「私のことよりも、君は……全てを話してくれるのかね?」
 オルベルの瞳が細められ、ネッドを見据えた。
 同時にネッドは、オーリーたちの視線も自分に集中していることに気づいた。
「ん……あー、その……だな」
 口から洩れるのは詰まった言葉の端々だけだ。
「ネッド」
 オーリーとタラがそれぞれにじと、とした目を向けた。どうしたものかと思案を巡らせるが、いずれにしても、彼らの非難めいた視線から逃れられるはずもなく、これ以上は誤魔化しようもない。それに、すでに巻き込んでしまった身だ。事情は確かに、話しておくべきか。
「分かった、話すよ」
 嘆息一つこぼして、ネッドは己が過去の断片を語り始めた。
 それでも、余計なことをしゃべるつもりはない。必要なことだけに留めたのは、わずかな警戒心と自尊心が、それを阻んだからだ。
 ヴェクサシオンという男が、『コンダクター』の証を狙っていること。そして、それを未然に防ぐことを目的として、自分がこの屋敷にやってきたこと。おおむね、それらの話をしているとき――オーリーがとある単語に反応した。
「コンダクター!?」
「なに、そのコンダクターって?」
 対して、きょとんとした顔でオーリーに問いかけたのはタラだった。
「そんなことも知らないのかよ、タラ」
 オーリーとしては驚いただけかもしれないが、半ば馬鹿にしたような言葉にタラの顔が『うるさい』という言葉を告げるべく魔物のように歪む。恐怖に打ち震え、オーリーはおずおずと説明に取りかかった。
「コンダクターってのは、魔術師――アイネ・クライネにのみ贈られた称号だよ。いわゆる『最強の証』って言われてて、魔術協会でも類を見ない奏言魔術の使い手である彼女の魔術は、技能も力も、その右に出る者はいないって話だ。だからこそ、教会はそんな彼女の実力に敬意と尊敬を認める『コンダクター』の称号を与えた。その比類なき魔術奏者に、畏怖さえも込めてね」
 オーリーの重々しい語り口に、わずかにタラは怖じ気づいたようだった。そんな語りを継ぐようにして、ネッドが言う。
「それも五年前までのことだ。アイネは亡くなり、コンダクターの称号はただ一人の功績として消えうせた。比類なき魔術奏者は名誉ある死を迎えたとして、教会の歴史に名を連ねてな。ま……それはともかく、だ。あのヴェクサシオンってやつは、そのコンダクターの証を探してるのさ」
 タラは合点がいったように頷いた。そして、それを未然に食い止めようとネッドがやって来たが、遅かったということか。
 が、そこで……彼女はふと思い至る。
「ちょ、ちょっと待ってよ……でも、なんでそんな奴が、『コンダクターの証』なんてものを探して、うちを襲ってくるわけ?」
「それは……こういうことだ」
 タラの疑問に答えたのは、ネッドでもオーリーでもなく、己が父だった。オルベルは居間の壁に飾ってある鹿の頭を象ったランプに近づいた。そして、懐から何やら小さな赤き球を取り出す。鹿の双眸の片方からはめ込まれているガラス玉を抜くと、代わりに、オルベルはその小さな赤き球をそこに埋めた。
 すると――突如、鹿の双眸が光を発し、その場から下へとずり落ちた。自分たちがこれまで過ごしてきた居間にこのような仕掛けがあったことにタラは茫然としているが、どうやらマメールはすでに知っていたようで、険しく眉をひそめながらも驚きの顔にはならなかった。
 そこにあったのは、小さな指輪だった。銀がわずかな石を挟んで輪を結んでいるだけの、指輪として見ればシンプルな造りだ。翠玉色を思わせる碧と蒼を混ぜ合わせたような幻想的な色合いの石。それを見て、まず血相を変えたのはネッドだった。
「コンダクターの……指輪……!?」
 情報ではこの屋敷にあることを知っていたが、現物を目の前にして、彼は思わず腰を浮かす。タラやオーリーも同様に驚いているが、彼らにとっては、どうやら現実感のなさに呆然とするのが先のようだった。
 タラが、父へと尋ねる。
「どうして……そんなものがここに……?」
「これは〈古き国家〉時代の産物でもあってな。元々、この指輪を作りだしたのは私だ。魔術協会からの依頼を受けて、古の時代の指輪を再生したのだ」
 そうか。だから、彼は魔術協会に何度か出入りしていたというわけか。ネッドの過去の記憶が、それと重なった。
「だが……あいにくとこれがアイネ様の指に収まっていたのは数日だけだ。もともと、コンダクターの称号授与式のときだけの形式的な意味合いも大きかったのでな。彼女から直々にこちらに返品をいただいたよ」
 アイネが称号授与式から幾日か経って、指輪を外していたことは知っていたが……それがここにあるとは思わなかった。てっきり、何らかの裏ルートをわたってこちらにたどり着いたとばかり思っていたのだが。
 早々にそのことに気付けなかったことに、少しばかり後悔と苛立ちを感じる。そのときだった。オルベルが、指輪を手にしてネッドに穏やかにほほ笑んだ。
「だから私は……君のことも知っていたよ、ネッド君」
「俺の……ことを?」
「アイネ様からよくお聞きしていた。君と……そしてヴェクサシオン君のことも。二人とも自分にはもったいないぐらいの子供たちだと、彼女は嬉しそうに語っていたよ」
 アイネの笑顔を思いだして、嬉しさと、そして少しだけ物哀しさを覚える。彼女の優しさ、彼女の声……全てがもう、消えてしまったものだ。そして、そんな風に嬉しそうに語っていたという、ヴェクサシオンと俺はいま……。
「別に騙すつもりはなかったのだがね。君の目的がこのコンダクターの指輪であることはどことなく予想できた。だがまさか……襲ってきたのが彼とは思わなかったが」
「……すみません」
「君が謝ることはない」
 ネッドを安心させようとしてか、優しそうにオルベルは口元を緩めた。そして、指輪をネッドの目の前に差し出す。
「いずれにせよこれは……君の手にあったほうが良い物のようだ」
「ですが……」
「いつまた、ヴェクサシオンが襲ってくるとも限らない。次こそは、このような仕掛けで騙し通せるとも思えないだろう?」
「…………」
 その指輪がほのかに発する高尚な雰囲気に、少しばかりネッドは躊躇した。それは、これが元々はオルベルがアイネ自身から預かったものということもあったのだろう。
 だが、自分がここにやって来た理由は、このアイネの形見を手に入れることだった。そして、それを狙うヴェクサシオンの手から、守ってみせること。無論――その前に、やるべきことは残っているが。オルベルはそれを、すでに見透かしているようだった。
 ネッドは指輪を受け取った。
 アイネの小指に合わせて作られたそれは、ネッドの手には、とても小さく見えた。


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