コンダクター

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第1章(4)


 長年使われていたのかどうかさえ分からぬ朽ち果てた機材。壁に立ち並ぶ書物の数々は歴史から個人の記述書まで数多くを網羅しているように見えた。埃はかぶっているものの、一介の研究者が抱えるには貴重なこれらの書物や機材を前にしては、ネッドも感嘆を覚える。
 興味本位で一冊の本を手に取ってみたが、面白い文献ではあるもののさほど希少価値の高いものとは思えなかった。数は多いが、どうやらその筋のルートを知っていれば手に入れられそうな代物だ。あるいは、高位交流を可能とする身分の者であれば。
 書物を戻すとネッドは再び作業に戻った――ハタキ片手に埃を散らすという作業に。なるだけ埃を吸わないように、口には三角巾を巻くことを忘れてはいない。パタパタパタパタと脱力的な音だけが鳴り、もうもうと埃は散って床に落ちる。
挿絵:1-4 「なあ、アニキ」
 背中越しにオーリーの声が聞こえてきたが、ネッドは小さく返事を返すだけは振り返らなかった。姿は見えないが、少年の声がくぐもってないところを察するに三角巾は口元から下ろしてあるのだろう。
「なんで……なんで……」
 そこまできてようやくネッドは彼を見た。
 ハタキごと両の拳を握り締め、わなわなと震えている。俯いた顔からぶつぶつ呟かれる声は、どうやら不条理を嘆く声のようだ。
「なんで天下の魔術師とその仲間が……こんな陰気臭いところを掃除しないといけないんだああぁっ!」
 やがて顔をバッと持ち上げた彼は、その不条理の全てを空に向かって吼えることで発散していた。
「魔術師が必要っていうから、どれだけ気合の入った仕事かと思ったら……ただの地下倉庫の掃除じゃないかっ! こんなのってねええぇ!」
「我侭言うな。それに、こいつも立派な魔術師御用達の仕事だ。なにせここにあるのは魔術の組み込まれた機材や魔術体系を記した書物……その手の代物ばっかりだ。何かあったときのために、魔術師が常備して作業に当たるのが適当なんだろう」
「えー…………魔術師ってそんな地味なもんなの?」
 もはや作業の手も止めて、脱力したオーリーは落胆し、ネッドはそれに肩をすくめた。
「まあな。夢見るのは勝手だが、魔術師だって収入は必要だ。こういう仕事も案外必要とされてるんだよ」
「なるほどなぁ……」
 オーリーは渋々とだが納得して頷いた。
 彼に言ったとおり、これも魔術師の立派な仕事だ。それはもちろん、間違っていない。しかし――ネッドは、考え込むようにして辺りを見回した。確かにこれだけでも十分なほどの資料が揃っているが……ダズベリー家にしては安っぽいものではなかろうか?
「オーリー」
「んあ?」
 いまだにぶつぶつと文句を言い続けていたオーリーを呼んで、ネッドはハタキを適当なテーブルに置いた。三角巾も引っ張るようにして外す。
「お前じゃないが……確かにこんなところにいる場合じゃなさそうだ。当初の目的を果たすぞ」
「あ、ああ……ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
 足早に倉庫を出るため階段を上っていったネッドを、遅れてオーリーが追ってくる。
「でも、目的を果たすのは良いんだけど……どうやって探すんだよ、アニキ」
「それはいま考えてるが……たぶん、別に地下室があるんじゃないかと思う。そこさえ探し出せれば……」
 えてして魔術を介した道具や研究というものは、地下に隠されることが多い。誰にも知られぬようにするという意味もあるが、魔力というものが陰気な空気に触れることで増幅するという見解も残されているからである。ある種、魔力を湛える夜の闇に近いものが、地下にはあるのだろう。魔術に関する研究をするときは、地下のほうが反応が良いと言われているのだ。無論、そうでなくとも、音響や爆発の規模を抑えるなど、地下に作るメリットは多々あるが。
 ネッドは階段を上って扉を開く。
 と――その正面にいた少女を見つけて、思わず足を止めた。
「タラ……」
「どこに行くつもり?」
 純真さを残した快活な少女は、ニヤリと悪戯げに笑ってネッドを仁王立ちで見下ろしていた。どうやら、話を聞いていたらしい。そしてしかも運の悪いことに、その話は彼女の好奇心という怖いもの知らずの心に触れてしまったようだ。
 しばらく立ち尽くしたネッドとオーリー……やがて、彼は深く嘆息して答えた。
「分かった。秘密にしておくっていうなら……ついてきても構わない」
「やった! さっすが、ネッド」
 いつの間に名前を覚えたのか。それはともかく、親戚からプレゼントでももらったような笑顔でタラは喜んだ。タラがついてくることにはオーリーも不満げな顔だが、告げ口でもされては困るのは目に見えている。ある種の脅迫だが、所詮は少女のものだと思えば素直に従っておくのが妥当な判断だった。
 それに――彼女ならば知っているかもしれない。
「じゃあ、早速だが一つ聞いてもいいか?」
「なになに? なにか秘密の話?」
 秘法や秘術にまつわる話に冒険――大方、そんなものが彼女の好奇心を刺激するものなのだろう。出来るだけ余計な情報を与えぬように、ネッドは話した。
「まあ、秘密っちゃあ秘密の代物だな。この屋敷の中に、魔力を秘めた古代の指輪……そんなものがあるって話は聞いたことがないか?」
「指輪? さぁ、聞いたことはないけど……でど、お父様の宝庫にだったら、そういったものがあるかも知れないわね」
「宝庫?」
 聞き返した彼に対して、タラは頷いて見せた。
「うん。なんでも、〈古き国家〉時代の貴重な道具や文献らを保管してるって話。私も、魔術教会の人とお父様が話をしてるのをちらっと聞いただけなんだけど」
「魔術教会だと……?」
 違和感が混じる話だった。確かにダズベリー家は〈古き国家〉の研究や調査を行っているが、それはあくまでも商人としての側面。つまりは資産運用の顔の一つでしかないはずだ。より深く根強いところでの魔術の研究と管理、統制に当たる魔術教会が、なぜ……?
 いや、しかし……だからこそネッドは確信した。ここに、“指輪”はあるはずだ。
 ネッドの胸元で、ペンダントの石が鈍く光を発したように思えた。
「じゃあ、その宝庫に行けば、アニキの目的のものがあるかもしれないってわけだな」
「そういうことだ。タラ、その宝庫の場所は分かるか?」
「う、うん……でも、どうしてそんなに、その指輪ってのが見たいの?」
 宝庫の場所を案内してもらうため身を翻したネッドは答えなかった。仕方なく、タラもそれ以上は聞かずに、先導して彼らを案内する。と――ネッドが、道中でタラに答えた。
「あれが……全ての始まりだからさ」
 小さく呟かれたその声は、深い遺恨や憎悪を宿しているようだった。そしてタラはどこか……その声に泣き叫ぶ少年の哀しさを垣間見た気がした。
 それほどまでに彼の追い求める指輪とは一体……?
 タラが横の雇われ魔術師について思考していたそのとき。突然、悲鳴のような叫び声とともに地下から爆発音が鳴り響いた。


 幸いと言うべきか。
 爆発が聞こえたときには、宝庫への隠し階段はすぐそこだった。タラが本棚に収められたとある一冊を押し込むと、棚そのものが横にずれて階段が顔を出す。すぐに、そこをひた走って降りていった。
 見えたのは粉塵だ。恐らくは爆発によるものだろう。宝庫の入り口にたどり着くと、壁や床の瓦礫に囲まれて一人の男が倒れていた。この家の主人――オルベルだ。
「お父様!」
 彼に気づいたタラが、いち早く駆け寄って具合を確かめる。爆発に巻き込まれて傷ついたオルベルは、外傷を多数走らせて気を失っていた。しかし、運よく致命傷となるようなものはない。
「大丈夫だ。大きな怪我はしていない」
 今にも泣き出しそうな顔をしていたタラは、ネッドにそう言われてとりあえず安堵した。
「だが、このままここにいると危険だ……安全な場所まで連れて行け」
 強く、有無を言わさぬ語調。タラは何か言おうと口を開閉させていた。しかし、言う言葉が見当たらなかったのか、素直に頷くに落ち着いた。
「オーリー、お前も一緒に行くんだ」
「で、でも、アニキ……」
「いいから行け!」
 ネッドの気迫に、それ以上オーリーは言い返すことは出来なかった。事は深刻なのだと、理解できたからだ。黙って頷くと、彼はオルベルを背中に背負って、タラとともに階段を上っていった。後に残されたのは、ネッド一人だ。
 彼は宝庫へと足を踏み入れた。わずかに粉塵が晴れて、中の様子が確認できる。<古き国家>時代の魔術文字を組み込んで作られた剣や、一種の体系理論を記した古文書。それに秘文魔術が刻まれた石版まで壁にかけられているのを見た。確かに……宝庫というにふさわしい。
 やがて粉塵は消えてゆく。爆発は、宝庫の奥の壁を破壊したものなのだろう――月夜の光を背景にして、一人の男が悠然と立っていた。
「ヴェクサシオン……!」
 男の顔を見て、ネッドは信じられぬものを見たような表情になった。しかし、すぐにその表情は、歯軋りを抑えきれないほどの憤怒へと変わる。
 男はそんなネッドの双眸を、冷笑して見つめていた。
 そいつは、一言で言えば神秘さに満ちていた。年齢は顔立ちからしてネッドと同様ぐらいに見えるが、月夜の明かりに銀光を映し出す美麗な銀髪はひときわ輝いており、聖霊か妖精かと見紛うほどの異貌さを携えている。紬糸のように靡く銀髪の下の顔立ちは、壮麗にして怜悧なものだ。闇色のマントが対比となって、その白き肌を更に映えさせていた。
 変わらぬ。変わらぬ姿だ……。確かに成長を遂げてはいるが、奴の纏う隔絶された雰囲気は、あの時から一切変わってはいない。銅像のように不気味に立ち尽くして、こちらを見下ろす、その表情さえも……!
 しばらく何も語らなかった銀光の男は、やがて口を開いた。
「久しぶりだな、ネッド」
「ああ、久しぶりだ、ヴェクサシオン」
「……昔のように、ヴェイクと呼んでもらったほうが僕としては嬉しいんだがね」
「そうかい。でも……今となっちゃそうもいかねぇだろ?」
 互いの言葉が交わされる間も、神経と思考は戦闘態勢を取っていた。周囲に漂う魔力の根粒。それを感じ取り、音階を調べる。
 ヴェクサシオンはかすかに笑った。
「確かに、今となってはな。……いや、君と会って凄く嬉しいのでね。つい昔を思い出してしまった」
「昔か。それがもし3年前のものだとしたら、俺は思い出したくはないがな」
 二人は沈黙、そして睨み合った。
「あの主人には悪いことをしたな。この爆撃は魔術を使ったわけじゃないんでね。威力の加減が難しくて、つい巻き込んでしまった」
「そうか」
 ネッドは憮然とした態度で吐き捨てた。
「ところでネッド――コンダクターの指輪はどこだい?」
 ついに切り出された本題に、ネッドはわずかに焦りを感じた。指輪はすでに奴の手の中にあると思っていたが、違うのか?
「やっぱり……それが目的か」
 質問に答える形にはならないが、時間稼ぎも含めてネッドは応じた。銀光が揺らめく。
「ああ。……しかし、宝庫にあると思ってやって来たのはいいが、どうやらここにはないらしい。君ならば、知っているのではないかと思って……な」
 最後の言葉は、別離への挨拶に過ぎなかった。
 飛来した白刃の先端はネッドの顔面を狙っている。鼻先に迫ったそれをかろうじて避けて、ネッドは体勢を取り直す。先陣を切ったナイフはそのまま壁に突き立った。
 マントの下に隠していた代物か。恐らく、神経を研ぎ澄ましたままでなかったらすでに命はなかっただろう。
「奏でよ」
 気づいたときには、ヴェクサシオンは魔力を紡いでいた。文言が囁かれるとともに、宝庫を漂っていた魔力が集約してゆく。その過程に生み出されるのは、魔力同士が触れ合い、離れ、宙を舞ったときの澄んだ音色だ。
 先手を取られたことに舌打ちをする間もなく、ヴェクサシオンの手のひらがネッドを捉えた。
「革命のエチュード!」
 穏やかだった曲調が激しく波打つ。そして、魔力によって生み出された衝撃波は、そのまま音色を引きずってネッドへと撃ち込まれた。
 床や壁を吹き飛ばし、瓦礫が散乱していた宝庫内を激しい竜巻が破砕してゆく。宝庫の入り口は完全に元の形を失い、ただの大穴になってしまった。
 ネッドは宝庫の外で瓦礫に埋まりかけていたが、すぐに立ち上がった。寸前で魔力を集めたのが功を奏した。大きな怪我はない。しかし、体中に傷が走って節々を痛めつけた。
「ネッド! 指輪がどこにあるのか答えろ! そうすれば、命は助けてやる!」
 宝庫の奥――粉塵に隠れてヴェクサシオンが告げた。
 奴は、俺が指輪を持っていると思っている? 自分でさえもどこにあるのか分からないネッドにとってそれは好都合であったが、このままやられてはどうしようもない。どうする?
「……知りたけりゃ、俺を倒してみるしかないな!」
 ネッドは、挑発とともに片手をヴェクサシオンへ向けて突き出した。魔力が徐々に集約してゆく。浮き立つ援軍の心持ちにも似た、躍動感のある音階だった。
「革命のエチュード!」
「魔弾の射手!」
 宝庫内よりヴェクサシオン。
 衝撃波が起こした風圧に、魔力の弾丸が風穴を空けた。光の弾丸はそのままヴェクサシオンへと一直線に飛び――直撃する。
「ぐっ……!」
 ヴェクサシオンの苦鳴を聞いて、ネッドはすぐに次なる魔力を紡いだ。音階を変えて、曲調を変化させる。それまで、触れるだけでも熱気を放っていた光の魔力は、穏やかな鈍色になった。
「奏でよ……月の光!」
 鈍色の魔力がネッドの目の前に広がったと思ったとき、それは不可視の障壁となった。衝撃波がネッドに襲い掛かったが、障壁はそれを弾いて内側の空間を守る。衝撃波が弾かれる度に、オルゴールにも似た甲高い音が鳴った。
 衝撃波が収まったのを確認して障壁を解くと、ネッドは宝庫内に再び足を踏み入れた。と――まるでそれを待っていたのかのように、すぐ隣で囁かれるような声が聞こえた。
「真夏の夜の夢……」
 魔術だ。すでに紡がれていた魔力の気配に気づいたときには、もう遅かった。粉塵が消えた後に、六体の人影――ヴェクサシオンが立っていた。
「幻影魔術……!」
「懐かしいだろ? ……どれが本物か、お前に分かるか?」
 六体のヴェクサシオンが同時に口を開いた。
 ネッドの脳裏に過去の情景が過ぎる。……幼い彼とヴェクサシオン、そして、幻影魔術で六体に増えた愛すべき人が、混乱して戸惑う自分たちを見て楽しそうに笑っていた。
 くそっ……! ふざけやがって!
 衣擦れの音がした。とっさに避けたネッドの目の前をナイフを構えたヴェクサシオンが過ぎ去る。続けざまに、ヴェクサシオンたちがナイフで一気に切りかかってきた。必死でそれを避けるネッドだが、このままではいずれは体力が尽きるのは必至だ。
 飛び退り、ヴェクサシオンたちから距離をとるネッド。指先に、魔力を集中させた。
「剣の舞!」
 転瞬――指先の魔力が赤く発光したと思ったとき、魔力はそのまま赤き光を帯びた剣を生み出してた。手の中に納まった魔力の剣で、ネッドはヴェクサシオンたちに立ち向かう。迫るナイフの数々を打ち払い、なんとか……二体は切り屠った。無論――それでもヴェクサシオンの魔術が解かれたわけではない。すぐに二体の幻影は再生される。
 だが……六体を相手にするよりも、はるかに時間は稼げる。ネッドはナイフを払って再び飛び退ると、敵が迫るよりも先に最大限の魔力を紡いだ。
「世の終わりのための……四重奏曲!」
 幻影を消滅させる真正魔術。魔力の剣は消えるが、その代わりに宝庫内の魔力たちは四重奏曲の壮大な音色を奏でた。音色の一つ一つがそれぞれに繋がりあい、一つの空間を作り上げる。
 ヴェクサシオンは魔力を紡いでいるネッドを先に仕留めようと迫るが――遅い。すでに空間は生み出された。
 パリンッ――ガラスが割れるような甲高い音が鳴ったと思ったとき、宝庫内の全ての魔力が浄化されていた。空間は割れて、魔力は宙に雫のようになって飛び散っている。当然、ヴェクサシオンの魔術も解かれたはずだ。
 だが……銀光は影も形も残されていなかった。
「逃げられたか……」
 恐らく、真正魔術が完成する寸前に幻影を解いた彼は、移送魔術を紡いだのだろう。その詠唱速度もさることながら、とっさの判断力も驚嘆させられる。
 さすがに――天才と呼ばれただけはあるか。
 ネッドは疲弊した身体を支えきれなくなって、その場に腰を落とした。噛み合った歯の奥から、呻くような声が漏れる。ようやく見つけた。見つけたというのに……!
「くそ……!」
 崩壊した宝庫内でただ、ネッドの行き場をなくした歯がゆい思いだけが、さまようように吐き出された。今頃になって……精神的にも、肉体的にも疲労が襲ってくる。意識が、徐々に薄れてきた。
 そのまま――彼が気を失うまでは、そう時間はかからなかった。


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