コンダクター

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第1章(1)


 ――気づけば、ネッドの目の前には天井が広がっていた。
 木材で出来た、なんてことのない天井。それまでの薄暗い部屋とはうって変わって、太陽の暖かな陽が差し込んで、陽気を生んでいる。外から聞こえてくるのは、小鳥のさえずる軽やかな鳴き声だ。
「……そう、か」
 ネッドはぽつりと呟くと、シーツをどけて上半身を起こした。
 寝起きだからか、懐かしい夢を見たからか。頭はぼんやりとして、脳が働き出すのに時間がかかりそうだった。
 ようやく思考が回転し始めると、自分がいる部屋の内装が目に入った。
 なんてことのない部屋だった。ところどころ傷が目立って年季が入っていることを思わせるが、いたってシンプルな宿屋の一室だ。ナチュラルな木製の壁やタンスにテーブル。だがむしろそれゆえに、余計なもののない洗練化された部屋は、宿泊客にとって心安らぐ空間でもあるのだろう。
 ネッドは伸びをして身体をほぐしはじめる。すると、扉の向こうから階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「アニキー、おはよー! 起きてる?」
 ガチャっと扉を開け放ったのは、一人の少年だった。刈り上げた髪型と小柄な身体、それにどこか生意気な表情があいまって、悪戯なサルのような印象を受ける少年だ。
 ネッドは寝起きの自分とは違って元気に満ちている少年に半ば呆れるような目を向けた。
「……朝っぱらから元気だな、オーリー」
「へへ……まあね。それより、朗報朗報」
「朗報?」
 ネッドは着替えながらオーリーの声に耳を傾けていた。壁の出っ張りにかけてあったシャツと上着に袖を通し、テーブルの上に置いてあったペンダントを首にかける。ネッドの背中に、オーリーは言葉を続けた。
「そうそう。斡旋所のほうにさ、要望してた仕事が入ってきたって話なんだ」
「……!?」
 ネッドは一瞬はっと目を見開いて、振り返った。
「ほんとか?」
「ああ、ホントホント。だからこうしてアニキを呼びに来たってわけ」
「…………」
 ようやく舞い込んできたか。
 待ち望んでいた時が来て、ネッドは心なしか唇の端を持ち上げていた。慎重に待ち続けたかいがあるというものだ。あとは、その仕事の内容次第か。
「……よし、じゃあ今日はその仕事を確認しにいくか」
「おっけー……あ、でもアニキ、その前にさ」
 突然、出発に気を入れなおしたネッドに向けて、オーリーがにかっと笑みを浮かべた。この表情には見覚えがある。このトラバスタの街にやって来て彼と知り合ってから2ヶ月……幾度となく見てきた表情だ。
 ネッドは怪訝そうに声を漏らした。
「……なんだ?」
「なんだ? じゃなくてさー……いい加減に魔術を何か教えてくれよっ」
「またその話か……」
 ネッドはため息をついた。
 2ヶ月前に初めてトラバスタの街にやってきたネッドにとって、街の散策は手探りで始めるようなものであった。まして仕事の斡旋所の関係からすれば、数々の情報収集や友好関係を一から築くのは時間がかかる作業である。
 そんな中、ネッドがこうして宿を得てトラバスタで活動できるのはひとえに目の前のこの少年――オーリー・キャンベルと知り合ったからに他ならなかった。トラバスタで情報屋として働いていた彼と知り合ったことで、さまざまな作業はすんなりと上手くいった。おそらく、彼の助力がなければ時間と労力はもっと余計にかかっていたことだろう。
 その点に関しては、ネッドも彼を評価しているし、信頼もしている。無論、感謝もだ。だが……一つネッドにとって彼に対する彼に難点があるとすれば、それはこの魔術への興味と好奇心だった。
「……言ったろ? そんなに魔術が習いたけりゃ、専用の機関にでも入って教えてもらえ。俺が教えたところで、大した魔術も使えねえよ」
「そんなことないって。だって……アニキはあの魔術師協会の中でも指折りの大聖堂の出身じゃん。一流魔術師なんだぜ? ……まあ、今はなんか追放されてるみたいだけど」
「…………」
 仮に魔術師に一流や二流があるとすれば、確かにネッドは一流かもしれなかった。
 大聖堂は魔術師協会の代表的な魔術師の卵を育てる育成機関だ。知名度、という点で言うならば、大聖堂の名は少なくともこのルーベルグ大陸中には知れ渡っているはずである。
 ただ――大聖堂から追放されている今、それが何になろうか、とネッドは思わざるえなかったが。
 めんどくさそうな顔をするネッドに、オーリーは続けて言った。
「それに、ちゃーんと約束したじゃないか」
「約束?」
 まるで思い至らない顔になるネッド。すると、オーリーはごそごそと何か紙らしきものを取り出し、それをバッと開くと、自慢げにネッドに向けてひらひらと見せびらかした。
「ほら、ここに契約書も」
「げ……な、なんだそりゃ。いつの間にそんなもん……」
「へへー。アニキがこないだの仕事で酔っ払ったときにちょちょいっとね。相変わらずお酒には弱いねぇ」
「…………」
 してやられた。
 通りでこないだの仕事で記憶が曖昧だったはずである。お酒を飲んだせいで、頭が色々と吹っ飛んでしまっていたのだろう。
 ニヤニヤとしてだまして書かせた契約書をひらつかせるオーリー。しばしネッドは固まっていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「しょうがねぇな……」
「え、ほんとアニキっ!?」
「ああ、一つだけ教えてやるよ。じゃあ、まずは――」
 言葉を切ると、ネッドはオーリーに向けて三本の指を束にして突き出した。まるで銃でも模したかのような構えだ。ネッドの唇が、ささやくように開かれる。
「奏でよ……」
 すると、ネッドの周りから不思議な音色が聞こえてきた。指先に集まるのは余波を生み出す不思議な力である。力が空気中を動くたびに、まるで曲でも奏でるかのような不規則で、しかし明瞭たる音色が鳴る。
 魔力だ。ネッドの体内と宙に在る見えざる力は、ネッドの指先に徐々に集まってゆく。音色のような音を鳴らしながら集まるそれは、次第に小さな弾と化してきた。あたりの空気が魔力によって揺れている。
 もはや、嫌な予感しかしない。呆然となっていたオーリーは慌てて口を開いた。
「え、ちょ、ちょ……アニキっ――!?」
 瞬間。
「魔弾の射手ッ!」
 指先に集中していた魔力の弾は、一気にオーリーに向かって飛んだ。光となって飛んだそれは部屋の家具や絨毯さえも空圧で吹き飛ばし、オーリーの身体を貫いた。
「ぬあああああぁぁぁっ!?」
 まだ威力がかなり抑えられていたから良かったのだろう。悲鳴と一緒に吹っ飛んだオーリーは、扉を破壊して向こう側の壁に激しくめり込むとようやく止まった。壊れた扉や壁の瓦礫が余韻を残す音を立てて崩れる中で、ネッドは上下反転状態で木屑の中に埋もれているオーリーに向かって言った。
「契約完了だな。んじゃ、斡旋所に行くか。用意しろオーリー」
「……こんなんアリかよ」
 憔悴して呟いたオーリーの額に、軽い音を立てて木屑が落ちた。


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