コンダクター

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第2章(1)


 魔術教会はルーベルグ大陸に領域を拡大しつつある。そしてそれは当然、トラバスタにもすでにその手が及んでいるということでもあった。
 街の中心にあたる広場は、数々の店が構えられた憩いの場としての機能も果たしている。魔術教会トラバスタ支部は、そんな広場の空気に準じながらも、一定の隔絶された雰囲気を持ってそこにあった。
 陰気な路地裏に構えられた傭兵ギルドとは違って、教会の支部は王宮騎士団のような市民の味方たる清きイメージを重んじている。存在を主張しすぎることなく、かといって忘却に置かれることもなく、社会構成の一部としての魔術師の地位を、魔術教会は構築しているのであった。
 建物は、シンプルな作りの石造建築だった。扉の上に掲げられた看板には「魔術教会トラバスタ支部」の文字がルーベルグの公用語で古めかしく描かれている。
 看板の前には、かつてその魔術教会から追放された魔術師が立っていた。が、なにやら疲れたような表情をしている。じと……と隣を横目で見て、彼は嘆息のため息をついた。
「で……なんでお前らがここについてくるんだよ」
「なんでって……決まってるじゃない。その指輪はわたしのなんだから、所有者が所有物を案じて同行するのは当然のことでしょう?」
 金髪碧眼の少女が、逆にネッドを呆れて見下げるように、胸を張って答えた。その隣にいる情報屋の少年は、自分ではどうにもできなかったというようにネッドに苦笑してみせている。
「あのなぁ……これは俺がお前の親父さんから譲ってもらったんだぜ?」
「お父様のものはいずれわたしのものになる予定だったのよ! だったら、わたしの許可も必要なのは当たり前でしょ! わたしはあんたに指輪を渡すなんて認めてないもの!」
 無茶苦茶な理屈であったが、どうやらそれを本気で思っているところが、この少女のすごいところだった。オーリーがネッドを同情してか、彼女の肩を掴んでまあまあと和ませようとしているが、即座に右エルボーが頬へとめり込んだ。
 そんな彼女たちに、ネッドは言う。 
「いいか。この建物の中は魔術師以外は入れないように厳重に警備されてるんだ。頼むから、無理やり踏み込んできて迷惑をかけるようなことはするなよ! いいか! お、と、な、し、く、待ってるんだ!」
 最後の言葉だけは念を押して伝える。だが、タラは地団駄を踏んで憤慨した。
「なんでよー! どうせその指輪に関することなんでしょ! だったら相続的にわたしも関係者じゃないのっ! どーして入っちゃいけないのよ! それにネッドだって魔術教会から追放――」
「だああああぁぁ!」
 あわててネッドはタラの口を押さえた。
 そもそも追放魔術師というのは、追放される何らかの理由があってこそ成り立つものである。そしておおよそ、その理由というのは、犯罪を犯したなどの風評の悪いものが最も多い要因だ。そういった経緯から、あまり口外するのはよろしくないのである。
 口をふさがれてもなお、タラは喚き散らしている。
「もがもがもがもがー!!」
「分かった、分かった! とにかく、指輪はこの問題が終わったら返してやる。だから頼むから大人しくしてくれ。オーリー、お前も頼むぞ。……主にこいつのことを」
「うえ……」
 あからさまに嫌そうな顔をするオーリーにタラを押しつけて、ネッドはようやく建物の中へと入っていった。背中からは、ぎゃーぎゃーといまだに文句を言い続けているタラの声と、オーリーが殴られたのであろう痛々しい殴打音が聞こえてきた。
 彼に同情の念を送って、ネッドは散々ついてきたため息をいま一度吐き出した。


 支部の中へと入ってネッドがまず思ったことは、想像していたよりも内部は冷厳な雰囲気に満ちているということだった。外壁は外部からの魔物や襲撃者を防ぐために頑丈な石造りであったが、内部のそれは物理的な要素よりも魔力的効力が重視されているようだった。
 壁に刻まれた古代文字や魔術印の配置は、自然な魔力の回流を邪魔しない程度に音階を刻んでおり、静かな背景曲がオルゴールのそれのようにわずかに聞こえていた。同時にそれは、隣接する広場の騒がしさを断ち切っている。
 外の喧騒から別世界に来たような錯覚に陥るのは、おそらく支部の中が静けさを孕んでいるからでもあるのだろう。一階には受付のような席とわずかな仕事場。二階へと続く階段も見受けられる。その奥で何をしているかは分からないが、かつて話に聞いたところによると事務的仕事が行われているらしい。
「お待たせしました」
 二階を見やっていたネッドに声をかけてきたのは、凛とした生真面目な雰囲気の女だった。支部の受付をしている彼女は、出来る限り客向きの柔らかい声を発するようにしてネッドを誘導した。と言っても、そもそも追放魔術師であるネッドを出迎えること自体、気が進まないのか……傍目からもあまり好感を持てるような態度ではなかったが。
 いかにも事務的に、ネッドは一階の奥へと誘導された。扉を開くと、今度は入口以上に静けさを増した廊下へと続いている。二人の足音だけが響く中を歩いていくと、すぐにある部屋へとたどり着いた。
「こちらでお待ちください」
 ネッドを部屋に通すと、女はそれだけを告げて部屋を出て行った。
 さて……と辺りを見回す。さきほどまでよりかは遥かに、落ち着きのある雰囲気の部屋だった。おそらくは客間なのだろう。ソファーとテーブルに、先ほどの彼女が用意した紅茶。周りを囲むのは資料や本であったが、魔術師にとってそれらのものは嗜好品でもある。時間も持て余すということで、軽く近くにあった本棚の古書に手を触れたが――そのとき、静かに音色のようなものが背後で流れるのを感じ取った。
 魔力の音階だ。通常の人間では感じ取れないほどの微細なそれを聞きとって、ネッドは振り返る。すると、床に印が描かれるところだった。赤き光の印はすぐに縁を結び、そこに一人の男が現れた。
「……久しいな、ネッド」
 かつて魔術の教えを請うた師は、変わらぬ笑みでそこにいた。
 多少、皺と白髪が増えたか。ネッドは手に取りかけた古書を元に戻して、改めて向き直った。
「ああ……ほんとに久しぶりだ、ワーグナー神父」
 シベリウス大聖堂に所属する壮年の魔術師は、ネッドの返答に小気味良く唇の端を持ち上げた。そして、彼に席に座ることを促し、ソファーに座って対面する。久しぶりに会った教え子の成長した姿に、ワーグナーは嬉しそうに言った。
「それにしても……変わるものだな。あの頃はまだこんなに幼かったというのに」
「そこまではないっての」
 ソファーに座ったまま手のひらを水平して示した身長は、せいぜい十歳かそこらの子供の身長だ。苦笑してみせるネッドと笑いあって、ワーグナーは紅茶を口に運んだ。
 間が開く。ワーグナーは穏やかな笑みを浮かべたまま、そこに映る何かを見ようとしているかのよう紅茶の水面に目を落とした。
 やがて、口を開く。
「君が私を訪ねてきたということは、ヴェクサシオンのことかね?」
「ああ」
 隠す必要はなかった。それに、ワーグナーもそれに気付いていたからこそ、こうしてわざわざトラバスタまで移送魔術を使ってくれたのだ。決まった場所に正確に己の肉体を移送することはそう簡単なことではない。魔術教会の支部や大聖堂同士がわざわざ構築した高度の術式と高位なる術者が必要となる。
 魔術教会を追放された自分が支部に連絡を頼みこもうとしただけでも前途多難かと思われた試みだったが、どうやらこの壮年はそれらをあの時から予期していたようだった。
 そう――自分が魔術教会を出奔したあの時から。
「ヴェクサシオンがアイネを殺害したのが五年前か。思い返せば……時が経つのも早いものだな」
「大聖堂はどうしてるんだ?」
「なんてことはない。いつも通りなものだ。最近ではシンフォニーの連中がなにやらブランドベルとよく会談を行っているが……王宮仕えの魔術師が増えてきたことも、それに関連しているのかもしれんな」
「アイネが生きてたら……最高の王宮魔術師になってただろうな」
「最高で、そして大陸最強の……な」
 ワーグナーが同意して、二人はお互いに遠い記憶の彼方に思いを馳せた。
 くすりと、ワーグナーが笑う。
「だが……彼女は王宮魔術師にはならなかったな」
「あれだけ誘いが来てたってのにな。普通に考えたら、もったいない話だぜ」
 ネッドも同じように微笑した。少し物哀しく、そして少し……誇らしげに。ぎゅっと、自分の胸にあるペンダントを握る。
「だけど……アイネらしくもある。あの人は、自由に生きてたから」
「そうだな」
 ワーグナーは短く答えた。
 過去に旅をするのはこれぐらいにしておこう。そんな意図が見えた気がした。だから、ネッドも最後に紅茶をほんの少しだけすすると、カップを戻して話を始めた。
「実は……『コンダクターの証』を手に入れた」
「なんだと……!?」
「これだ」
 ネッドは懐から茶の布で出来た、小さな包みを取り出した。紐を引っ張ってその口を開くと、そこからカランとテーブルの上に出てきたのは、オルベルから譲り受けた指輪だった。
「これは……確かに」
 最初は信じられなかったのか。指輪を確認して、オルベルは目を見開きながら茫然とつぶやいた。
「なんでも、ダズベリー家にアイネ自身が預けてたらしい」
「ダズベリー家に……!? 通りで……見つからぬはずだ」
「……探していてくれたのか?」
「ああ……多少はな。魔術教会としても、唯一の称号『コンダクター』に向けて造らせた特注の指輪だ。行方が分からぬまま放置しておくだけというわけにもいかなかったのだろう。だが、〈古き国家〉時代の遺跡から発掘された秘石とはえ、何に使うものなのかも、何のためのものなのかも分からなかった代物だ。ただのガラクタであるとも言える。そのようなものためにわざわざ労力を使うのも無駄だという判断でな。すぐに捜索は打ち切られたよ」
 それも、致し方ないのかもしれなかった。アイネは指輪の行方を誰にも言っていなかったし、手掛かりとなるようなものも何もなかったのだから。
 ワーグナーは自嘲するように苦い笑みを見せた。
「何らかの方法で巧妙に隠しているのだろうと考えていたが、深読み過ぎたのかもしれぬな。まさか、製作者のもとに返っていたとは」
 思い至らなかったのだろう。あるいはそれも見越して、アイネはオルベルのもとに預けていたのかもしれなかったが。
「いずれにしても……とりあえずは安心、か」
 ワーグナーは自分に言い聞かせたように頷いた。そんな彼に、指輪へと視線を落としていたネッドが顔を上げる。
「それで、実は一つ疑問があるんだ」
「疑問……?」
 ワーグナーは予想していなかった言葉に、訝しそうに眉を寄せた。
 部屋に満ちてきた不穏な空気は、冷め始めた紅茶のそれに似て、わずかな冷たさを滲ませていた。


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