クリームパン女とチョココロネ

 コンビニといえば、不思議な客がよく来るものである。
 毎日朝早くからやって来ては元気みなぎるマムシドリンクとおにぎりを買っていく客。昼になったらいつも決まってツナマヨおにぎりを三つも買っていく客。夜にはこわーいオジさんがやって来てプ○キュアチョコを買って行く。
 まあ、色々な人種がいるわけだが、中でも極めつけなのは――
「あの……」
 少女はレジに立つ俺の目の前に、包装されたクリームパンを差し出した。
ふっくら甘いカスタードがもちっとしたパンの中で奏でるハーモニー、と銘打たれた我がコンビニオリジナルの商品だ。お世辞ではないが確かに口の中で混ざり合うハーモニーがなんとも言えず美味く、俺も店員という立場を利用してよく食べている。税込み百五十円也。
 俺はいつも通りクリームパンにサイヤ人のスカウターのようなものを当てて値段を口にし、商品をレジ袋に入れ、お金が支払われるその間に少女のことをちらりと見た。
 顔はよく分からない。まるで貞子のように長く伸びた艶やかな黒髪が顔を覆っており、すっかり隠してしまっているからだ。ちなみに身長は俺より低い。これで俺よりも高かったら、悪いけど少し怖気づいてしまう。お化けは怖いんだ……。
「ありがとうございましたー」
 少女は会計を済まして俺からレジ袋を受け取ると、ぺこりと会釈して行ってしまった。うーむ、店員に会釈するとはなんと律儀な奴だろうか。少なくとも、悪い奴じゃないのは間違いない。
 自動ドアを抜けて去っていく少女の背中を、俺は目で追っていた。
今日の彼女の服装は、その小柄な小動物らしさを倍増させる、可愛らしいブレザーの制服姿だった。
 俺の学校の、女子制服だ。


「……と、いうことがあってだな」
「ほう、じゃあなにか。お前は我が来山東高校の生徒の中にほぼ毎日お前の働くコンビニでクリームパンを買う女がいて、それがお前に惚れていると。そう仰るわけですね? 永岡浩平くんは」
「いや、最後の台詞は言ってないが……」
 俺――永岡浩平(ながおか こうへい)の目の前で、生徒代表のスピーチの最中に先生に引っ張り下ろされた友人、相馬天才(そうま〜)はけっと舌を打った。ああ、断っておくが、こいつは天才でもなんでもない。天才と書いて天才(あまざえ)と呼ぶ。こいつの両親は彼に天を駆けるような才を持ってほしいと願いを込めたらしいが、何が間違ったのか、こいつは別方向にその才能を発揮していった。。
 その結果、高校に入って生徒代表のスピーチに挙手したのはいいが、俺がこの学校にハーレムを作ってやると高らかに宣言した挙句、教師たちによって叩き伏せるように降ろされ、校長じきじきにお説教をくらったのである。
以来、こいつは要注意人物として学校のブラックリストに載ったらしい、というのは後日談だ。
「俺は、別に惚れてるとかそんなんじゃなくて、ただ気になってだな……」
「まあ、お前じゃなくともそれは惚れていると予想しておかしくないシュチュエーションではあるがな……」
 どうやらこいつには聞く耳というのがないらしい。相馬は唸ったのち、偉そうに語り始めた。
「しかし、よく考えてもみろよ、浩平。お前の話だと、そいつはお前が担当の日以外は来ないらしいじゃねぇか」
「ああ、そうだけど……」
「そいつぁ、俗にいうストーカーというやつじゃねぇのか? あるいは、お前の行動を観察して何か企んでいるのか。どっちにしても、あまり良いもんじゃねぇよ」
 相馬はにやにやと笑って、俺の昼飯の弁当をつまみ出した。
「考えすぎじゃないのか?」
「ま、考えないに越したことはない。で、どんな奴なんだ?」
「ああ、客と店員だからってのもあるけど、無口な雰囲気ではあったな。あと、もう、真っ黒な髪が顔を覆うぐらい長くて……」
 俺がそう言うと、相馬はがたんと椅子を揺らしておののき、驚きに目を見開いていた。
「顔を覆うぐらいの黒髪……?」
「ああ……」
「お前、そりゃあ、小宮由佳(こみや ゆか)じゃねぇか」
 呆然となっている俺に、相馬は感心した声でそう言ったのだった。


 小宮由佳という少女を見たとき、俺は確かにそいつがクリームパン女だということを確信した。
いや、だって、今朝買ったクリームパン食べてるしさ……。
そんなこんなのシーンを一年生のクラスで見たわけだが、俺みたいな人見知りが、え、だれ、あの上級生、とざわざわしている空気の中で話しかける勇気などあるはずもなく、結局は少女の正体が分かっただけに満足してその場を去ることになった。
 相馬曰く、小宮由佳という少女は二年生でも噂が広がり始めているぐらいのある意味で有名人らしい。なんでも、彼女に触った者には不幸が訪れるとか、霊感があって、常に霊を見て過ごしているとか……。
「お前も災難だったなぁ。今度、お守りでも買いに行くか?」
「必要ねぇよ。それに、噂だろ?」
 わざとらしく心配する相馬に、俺は口を尖らせた。
 つまり、俺はどうにもそんな噂が信じられなかった。まず、そんなやつがクリームパンをあれだけ小動物らしくはむはむと食うか……?
 そんな疑問が拭えないまま放課後を迎えた俺は、また今日も家庭経済への供給を目的に、コンビニへと急いでいった。


おお、珍しい。
クリームパン女の正体を知ってから数日後、今日も今日とてコンビニで働いていた俺の前に、噂の少女が現れた。
だが、何と言うことだろう。俺はここ数ヶ月で一番の衝撃を受けていた。
なんと小宮は俺が知る限り初めてクリームパン以外のパンをレジに差し出したのである。
見事なまでの香りを漂わせる甘そうなチョコクリームが真ん中にぎっしりと詰まり、うずまき状の貝殻のような生地がそれを包み込んでいる。俺も大好きだとも、小宮。その名前はチョココロネ。偉大なるチョコパンの王様であった。
「えーと、君さ……あの、小宮、さん?」
 チョココロネを見てテンションの上がった俺がついつい口を開くと、彼女はまるでお化けでも見たかのようにびくっと震えた。
 そして、
「え、え……!」
 と、困惑した声を上げる。
「あ、いや、あの……同じ学校でしょ? だから、ちょっと知ってたんだけど……今日は、クリームパンじゃないんだ」
 実際は知ってたわけじゃなく知ったわけだが、そこは言ったら野暮ってモンだ。
小宮はしばらく驚きと恥ずかしさで固まっていたが、やがて恐る恐る、そしてたどたどしく喋り始めた。
「き、今日は、く、クリームパンの気分じゃないんで……」
「ああ……そ、そうなんだ」
 会話、終了。
俺はこのままシーンとした空気のままでいるのに耐えられなくなり、いつも通りレジのキーを打って会計を済ませた。
 すると、またもや予想外のことが起きた。
「あの、これ……」
 小宮はいま目の前で買ったチョココロネを、俺にずいと押し付けるようにして渡した。
「え……?」
「そ、それじゃあ、失礼します……!」
 小宮はそう言うやいなや、狭いコンビニだというのに駆け出して一目散に去っていった。うむ、あれなら金メダルを狙えるな。
残された俺は、チョココロネと小宮が消えた後を交互に見ながら、呆然とするしかなかった。


 その夜。バイトを終えた自宅に帰り、母親の愛情たっぷりな夕食も済ませて自分の部屋に戻った俺は、小宮からもらったチョココロネを鞄から取り出した。
いや、確かに美味そうなのは間違いないのだが……なぜあいつはこれを俺に?
頭の中でははてなが一杯だった。
そんなときぼんやりと、俺は思い出した。そういえば、小宮が驚いて一歩下がったとき、俺は初めてあいつの顔を見た。風に浮いた黒髪の向こうでは、紅潮した小宮のとても愛くるしい顔。
まるで宝物でも見つけたかのように、俺は小宮の顔が見れたことに、喜びを感じていた。
にやにやと気持ちの悪い顔を浮かべてチョココロネを見る俺は、ふと気づく。そういえば、今日は二月十四日じゃないか。
「まさか……な」
 そう呟きながら、少しばかり緩んだ顔は止められないわけで、俺はチョココロネをかじってその甘さに酔いながら、今日はあまり眠れそうにない、と思った。