挿絵:ころいき

殺すということ、生きるということ

 自動拳銃に弾倉を詰め込んだ音を確認すると、何処か安心した気になる。
 無造作に伸ばした黒髪を後頭部で纏めている若者――日比谷修(ひびや しゅう)は、血の付いた顔を拭っても涼しい顔を崩さなかった。
 かれこれ幾十人だ。初めて他人と言う物≠殺したときには抵抗があり、恐怖と絶望に取り殺されそうなものだったが、今ではもう慣れてしまった。目を瞑れば亡霊のように自分に纏わり付く連中だが、きっと、殺すということはそんなものなのだ。
 ジャケットのポケットから取り出した萎れた煙草を口に咥えると、彼は古風にもマッチで火をつけた。実際のところはマッチしかないだけなのだが、それでも様になっているのだから十分である。
 吸い込んだ煙が肺に行き届き、自分が今ここで生きているのだと言うことを実感させる。
 ストレスや癖以外にもこんな役割があるのだと気づいたのは、戦争≠ェ始まってのことだった。
 あの時、原因不明に起きた大地震が福岡都心を襲い、日本という国から孤立されることになったのは半年前のこと。まるで怠惰な政治を象徴するかのように政府は都心を捨て、干渉せぬことを決定事項とした。
 それは何故か。決まっている。治安と言う治安が全て失ってしまっていたからだ。解放軍や条約軍など、荒れた街中で人民の独自組織が作られていく中、人は銃器の密売や独自のルートも生み出して行った。
 何とか治安と言う体裁を持つには持った半年の時間だが、今でも都心は干渉されない閉鎖区域となっている。無法地帯――日本にもそう呼ばれるところが出来たとは、世界の国々も笑っていることだろう。
「だれだ……?」
 ふと、いつもの思案の最中に石を弾く音が響いた。
 殺しの後は決して気を抜いてはならない。なぜなら、それが最も安心したとき、つまりはスキに繋がるからだ。修はだからこそ殺人≠フ後には思案の時間をとる。これには今後の予定を決めると言う目的と共に、周囲に敵がいないかを確認する意味も含まれているのだ。
「出てこい」
 神経を研ぎ澄まし、修は遊底(スライド)を引いて弾丸を送った。薬室に弾丸を送り終えた修は、撃鉄を戻して準備を整える。ダブルアクションの場合、こういったタイムロスが命取りになる場合があるのだが、どうやらその心配はなかった。
 一歩一歩と足を踏みしめ、音の発信源に近づいていく修は、相手が柱に隠れていると予想する。と言うのも、隠れる場所がそこ以外に見当たらなかったからだ。もっと優秀な人間であれば違うのであろうが、そうであれば既にタイムロスの際に銃撃を開始している。
 次の瞬間――修は地を蹴って身を出し、柱の裏へ銃口を向けた。
「……なに?」
 そこにいたのは、頭を抱えて震えている、戦闘能力の欠片もなさそうな少女であった。


                 ◆ ◆ ◆


「すごいなぁ、こんなところに家があるなんて……」
「いいから黙っててくれよ。気が散るんだ」
 亜麻色の肩口まで伸びた髪を風は靡かせ、少女の顔をはっきりと見えるように仕向けていた。
 卵のように整った双眸は彼女の顔を何処か童顔のように作っていた。そのせいなのか、一歳だけの違いだと言うのに、修は彼女と五歳程度も離れている気がしないでもなかった。
 彼女――香山綾(かやま あや)は、愛想のない修の態度の不満げであった。
「それが女の子に拳銃を向けておいて言う台詞? もうちょっと優しく接してよ」
「だからこうやって家に向かってるだろ。その足が治るまでは勝手に使っても良い」
 綾の捻挫している右足を一瞥し、修は仕方なさそうに落胆した。
 石を弾いた音は彼女が足を滑らせた際のものであり、返事がなかったのは単純に怖かったから。普通、これが屈強な男であれば信じることはないのだが、自分より年下の女の子となれば半分は信じてもいい気になるものだ。
 とは言え――完全に、ではないが。
「見えてきた、あれだ」
「ふぁあ……良い家だね」
 感嘆の綾の声を聞きながら、修の車を運転する手が動きを止めた。
 無骨なトラックを自宅の前で停止させ、彼は荷物を手に慣れた様子で降り立つ。
 遅れて、綾も慌ててトラックから飛び出した。
 周囲に建物の残骸や壊れた機械機器があるものの、修の家≠ニ称する石畳の建物は綺麗なものだった。元々は何かの事務施設でもあったのだろうか。中には机がいくつか並んでおり、その横にリビングのような広間が位置している。
 綾の頭に浮かぶ疑問を予想してなのだろう、修は彼女に向けて口を開いた。
「元々は小さな会社の事務局だった。それがこの半年でこの有様さ。使ってる人もいないようだし、有効に使わせてもらってる」
「こんなところで、食料とかはどうしてるの?」
「近くに闇市もあるけど、まぁ、通常は自宅菜園にしてる。地震があってからは意外と有益な手だって事が分かった」
 そう言いながら、修は裏口からの庭を指差した。
 目を向けたその先には、鮮やかな色を放つ野菜や果物が実を成しており、見ているだけでも彼女の腹の虫を鳴らせるに十分だった。
「とりあえず、今日は飯にするか。じゃあ、何か適当な物を取ってきてくれ」
 修はフライパンやまな板を台所で用意しながら、綾に比較的中程度のざるを渡した。
「適当なもの……? 何でもいいの?」
「ああ、好きなのを三つ、四つ取ってきてくれりゃあ良い。頼んだぞ」
 修の言葉に従い、綾は引きずる右足に苦労しながらも外に出ようとした。しかし――
「ほら、これ使え」
「これ……? まつば杖?」
 修が渡してくれたのは、自前で作ったということがすぐに分かる、歪なまつば杖であった。だが、それでも試しに使ってみると頑丈さがあり使いやすい。まるで怪我をした人を上手く考えてる作りであった。
「俺が怪我をした時に使ってたやつだ。まぁ、身長の差はどうにかなるだろう」
 確かに若干高いのだが、それでも十分なものであった。
「ありが――」
 綾は意外と優しい修の心遣いにお礼を返そうとしたが、彼は既に料理の準備で彼女のほうを向いていなかった。それが悪かったのだろう。誠意を見せた際に気づいてもらえないと言うのは、案外苛立ちを生むものである。
 玄関に置いてあった彼の靴を掴んだ彼女は、苛立ちに従うままそれを修に向けて放り投げた。円を描きながら、靴は狙い通りに修の頭に直撃した。
「いったぁ……! なにすんだ、お前は!」
「ばぁかっ!」
 意味の分からない綾の言葉に疑問符を浮かべる修だったが、彼女はそれを無視して野菜を取りに出て行った。
 よく分からないというのは、お互いに同じなのかもしれなかった。


                    ◆ ◆ ◆


 自前の菜園に水を撒きながら、最近は人を殺していないなと修は思い始めていた。
 綾には言っていなかったが、闇市や菜園よりも更に有益な自給自足の方法は、人を殺すことであった。他人を殺し、そして所有物を奪うことこそが最も得るものの多い方法。しかし、これには大きなリスクが伴う。もちろん、自分が死ぬかもしれないと言うこと。だから、元々修とて好き好んで人を殺しているわけではなかった。
 止むを得ない場合。そういった人間の危機という場面に達したときのみ、彼は人を殺すことにしている。相手もこちらを殺す気でやってくるのだ。ならば、それに抵抗せずしてなんになるというのか。そして、相手にはそれなりの代償を払ってもらわねば割に合わない。
 解放軍の区域ではこういったことは殆ど起こらないのだが、自分いるこの完全無法な区域は違う。
 次第に自治組織が政治を確立して治安も徐々にだが良くなっている解放区域。条約軍と呼ばれる、名ばかりの戦闘組織とは違い、解放軍は中々良く動いているのだ。解放区域へと無法区域から移動することを、都心の人々は境界越えと呼ぶ。無論――彼とて境界越えを考えなかったわけではないが、彼にはここにいる理由がある。
 もちろん、境界越えが難しいと言うのも無きにしも非ずなのだが――。
「ねぇねぇ、あたしも手伝おうか?」
 耳元で綾の声が聞こえたため、修は驚きを隠せずに後ずさった。
 時々、女は面倒くさい生き物になると修は思う。ここまで近づかなくとも、別に話すことはできると言うのに、幼稚なのか考えが至らないのか。
「いや、やらなくていい」
「どうしてよ。折角付き合おうと思ったのに」
「慣れてない奴がやると失敗しやすいんだよ。あまり手を出して欲しくないんだ」
「あっそ」
 頬を膨らませて不満を顔に出す綾は、かれこれ一週間ほど修の家に居候していた。
 捻挫はもう治りかけで動けるのだが、まだ完全ではないらしい。本来ならば叩き出しているところだ。動ける程度に回復したのなら、住まわせる必要もない。その後はどこで倒れようと死のうと構いはしないのだから。
 だが、どこかでそれを拒否している自分もいることを、修は何となく理解していた。
 空気なのか。間なのか。それとも会話のリズムなのか。
 心地よさの正体も分からない。彼女を住まわす意味も判らない。だが、一つ言えることは、修と綾が、お互いを知っていないという事だった。
「なぁ、お前、何であそこにいたんだ?」
 修の質問は、綾の無邪気な顔を止めるには、十分なものだった。


                 ◆ ◆ ◆


 今の福岡都心で孤立の身となる人間は決して少なくないだろう。
 地震によって被害を受けた人間は何万と存在し、人はそれでも生き延びようと必死になる。だから、他人を殺し、奪い、生きる≠アとに執着もする。だが、何も出来ない人間はどうすればいいのか。
 それは修にも判らない。彼は何かが出来る人間だから、出来ない人間の気持ちを完全理解することは出来ない。ただ、しようとするだけに留まるのだ。
「あたしね、こないだまでお父さんと一緒だったんだ。でもお父さん、地震の後ずっとあたしにばかり構ってたから、身体壊しちゃって……。だから、解放区域に行こうと思ったんだ。そこなら、きっと人並みの暮らしが出来ると思ったから」
 綾は苦笑いをしながら何ともないように語った。
 それは振舞っているだけだったが、指摘しようとは思わない。彼女は自分で強くあろうとしているのだ。それを指摘するような野暮な真似はしない。強く振舞って涙を流さずに済むのなら、安いものだ。
「そうか。なら、足の怪我が治ったら行くんだな」
「……あなたは? 修は、どうするの?」
「俺は、ここに残るさ」
 どんな真意で綾が聞いたのかは判らない。
 煙草を取り出して火を付け、咥えた口内に煙を吸い込む。意識を別に飛ばしたかったのだろう。修は、綾がなぜそんな事を聞いたのか、考えないようした。考えたら、自分の生き方が変わってしまいそうだから。
「よし、今度は果物も取って、何かデザートでも作るか」
 誤魔化すように背伸びをし、修はざるを持って収穫に向かった。


                 ◆ ◆ ◆


 それは昼時のことであった。
 じゃが芋とナスを多く使った野菜カレーを食べていた最中、車のエンジン音が次第に近づいているのを感じた。ここまで誰かが来るのは殆どの場合、強奪かもしくは偶然だ。
 だからこそ、修は食べるのも素早く中断し、机の中に隠していた自動拳銃を取り出した。ダブルアクションの無骨な黒き銃身は、彼の掌に上手く合わさり使いやすい。元々闇市で物色して手に入れたものだが、現物を手にとって探したので実践的なフィット感ではある。
 銃把を吸い付くように握り、実包を詰めた弾倉を挿し込む。
「ど、どうしたの?」
 この時になってやっと事態に焦り始めた綾はカレーのスプーンを置いた。
「お前は後ろのほうで隠れてろ。音が近づいてきてるところからすると、偶然じゃない。何か目的があってここまで来たって事だ。こっちの方面はこの家ぐらいしかないからな」
「う、後ろのほうって……?」
「そこらに机やソファやらあるだろ。その後ろでもいい」
 頷いた綾が身を隠すのを確認し、修は遊底を引いて射撃準備を整えた。
 静寂が辺りを包み、静かになった中で物音はエンジンの止まった音だけだった。ドアを開ける音。地を踏みしめる音。全てを認識し、修は玄関の前で息を潜める。これは決して卑怯ではない。生きるための戦いは、どちらが不意を撃つかに決まっているのだ。
 戸を引く音がし、足を相手が踏み出したその瞬間――両手で銃を構える修は対峙した。
「お前は……!」
 そして、修はその場にいた男に驚愕した。
 無精髭を生やした壮年の男は、柔和そうな笑みを浮かべて修に頭を垂れた。その際、頭に被っていたソフト帽を取り、白髪だと言うことが分かった。
「お久しぶりですね、日比谷修君。君がこんなところに身を潜めていたとは思いもよらなかったですよ。てっきり、私達はあなたが解放区域に行ったとばかり思っていましたからね」
「……今更俺に何の用ですか、文岡(ふみおか)さん。俺はただ引退した身としてここでひっそりと暮らしていくつもりなんですけどね」
 まるで皮肉とばかりに敬語を使って喋る修に、文岡と呼ばれた男は笑いを漏らした。
「これは面白いことを言いますね、修君。……貴様が隠しているあれのことを私が知らないとでもお思いで?」
 冷や汗が額を伝い、修の銃把を握る手も汗が滲んできていた。
 文岡
ふみおか
啓二
けいじ
――現条約軍第二分隊隊長にして、元条約軍第三銃撃部隊隊長でもある。コートの下に隠れているのは、おそらく短機関銃一丁と自動拳銃が一丁。柔和な笑みの下にあるのは、私益のためだけに人を物としか思わない悪魔の顔だ。
「元条約軍第三銃撃部隊、日比谷修隊員。君の持つ我々の私物を返してもらいたいのですが……いかがですかね?」
「もし嫌だといったら?」
「それは賢明な判断ではない。お渡しいただければ命だけは助けて――」
 瞬間、修は構えていた拳銃の引き金を躊躇いなく引いた。
 あっけない咆哮の音が響くと、弾丸は一直線に文岡の頭部へと飛翔し、貫通する。ビュッ――飛び散った血飛沫は玄関に撒かれ、次いで文岡の肉体は銅像のように硬直したまま倒れた。
「考えている暇があれば撃つ。あんたは老いぼれたみたいだな、隊長」
 これで終わることもなく、修は倒れた文岡の頭部に銃口を押し当てると、二度の射撃を行った。
 飛沫だけだった溜まりを生み出す勢いで流れ始め、玄関は一面が血で染まってしまった。これで何人目だろうか。もはや、かつての上官であれ殺すことに躊躇のない自分が、とても哀しくなった。だが、故に生きていると言うことも実感させられた。
「終わったの……?」
「ああ、終わった。でも、ここはすぐにまた追っ手が来るな」
 机の下から姿を現した綾に極力嫌な顔をさせないよう、彼はすぐに自分の返り血を拭った。
 綾は修のもとまで歩み寄ると、その身体をゆっくりと抱きしめた。急な事に、修は驚きを隠せない。



「ば、何やってんだ……」
「生きてて良かった。死んだら、やだよ」
 自分に血が付くのも構わず、綾は修に言葉をかける。紡がれる言葉は優しくて、そして、抱きしめる身体は、とても温かかった。
 死んだら――。そんなことを考えたこともなかった。
 死など、いつしか自分には無縁だと感じ始めていたから。だが、これだけは分かる。生きるというのは、今まで自分がやってきたことではなかった。きっと、今この場所、この時こそが、生きるという証なのだ。
 そう、生きたという、証なのだ。


               ◆ ◆ ◆


「ここから先の博多駅周辺が解放区域の一つだ。と言っても、そんなに広いわけじゃあないけどな」
 トラックに必要なだけを荷物を乗せた二人は、修の運転で塗装されていない道を上手く進んでいっていた。
「ねぇ、修、本当にあれでよかったの?」
「大丈夫だよ。あそこにあれがおいてあれば、無理にこっちを追いかけてくることもないだろ。最も、奴らが落胆ぐらいはするかもしれないがな」
 修は、文岡が渡せと言ってきたあれ≠、元自宅の玄関にそのまま放置してきたのだ。
 それは、とても想像とは違っていた存在。たった一つの長方形の物体のためだけに、文岡は修の居場所を探していたのだ。
「でも、まさかあんなものだったなんて」
「拍子抜けだろ? 元々はあれの何十倍っていう数があったんだけどな。実質、ほとんどが解放軍の資金として使われたんだ。俺達がかつて得ようとしたものは、あんなちっぽけな一つにしかならなかったってことなんだよ」
 それは――金塊であった。
 本来は様々な企業からの共同資金で保管された物である。解放軍と旧条約軍の二つの自治団体に企業が資金を渡すことで、復興の際の足がかりを得ようという魂胆だった。企業も復興を果たした際には優先的に拡大を広げられ、加えて市民は更に復興を早めることが出来る。知恵とはよく言ったものだが、それを盗もうとする者がいることも、人としてまた事実。
 腐敗化した条約軍に使われるぐらいならば、いっそ全てを解放軍が使えばいい。旧条約軍の資金を隠した解放軍は、そうしてつい一ヶ月前ほどに使用し尽くしたのである。
「それでも、おれは元条約軍だったときに盗むことには成功してたんだ。ただ、それを一つとは伝えず、結局軍を脱退したけどな」
「なんで、脱退したの?」
「結局、軍にいても何も変わらないと思ったからさ。そうだろ? 奴らがやってることはただの独裁準備でしかない。これ以上あそこで働いていても、俺は疲れていくだけだったんだよ」
 煙草に火を付けて息を吸い込み、修は過ぎ行く風に煙を預けた。
 そうとも、自分は結局殺しているだけだった。人も、そして自分自身さえも。殺して殺して殺して、結局得たものは金塊と一緒に隠れるという事のみ。もしも自分が姿を現したならば、奴らに消されていることは必然だった。
 だから、いつかこんな時が来たとき、自分は死を覚悟していたのかもしれない。殺すということに疲れてしまっていたから。
 しかし、生きることも覚えてしまった。理解してしまった。抱くことのなかった認識を得たとき、自分は、まだ生きたいのだということを――
「ねぇ、どうしてあたしと一緒に行く気になったの?」
 無邪気な笑顔で視線を向ける綾に、修は軽く拳骨を当てた。
「いたいなぁ……。何すんのよ」
「お前のせいだよ」
 漏れるように呟かれた修の言の葉は、綾にははっきりと聞こえなかった。
 しかし、聞き返すことはない。どこかで、彼女も彼のことを理解し始めていたのだから。彼が、綾を理解し始めていたように。
 二人はお互いと一緒にいることを選んだ。これからも、それは変わらないだろう。きっと、これが生きるということなのだ。